『オデュッセイア』について

『オデュッセイア』を著した古代ギリシアの詩人ホメロスは紀元前8世紀に活躍したと言われています。そうして彼が著した『イーリアス』『オデュッセイア』は紀元前12世紀にあったトロイ戦争前後のことが描かれています。『イーリアス』については別に読後感想を書こうと思っていますが、『オデュッセイア』はこの英雄叙事詩の主人公オデュッセウスがトロイ戦争後いろいろな困難を経て故郷イタケーに帰った後に息子のテレマコスと共に妻ペネロペイアに言い寄る求婚者たちを退治するところをを描いています。物語は大きく分けて2つの部分からなっています。トロイ戦争が終わった後にオデュッセウスが故郷イタケーに帰ることが出来ずに10年余りさまざまな苦難に襲われますが、アルキノオス(その娘はナウシカー)に助けられて故郷イタケーに帰るところ(1~14章)とオデュッセウスの留守に我が物顔でふるまうペネロペイアの求婚者を息子テレマコスと女神アテーネーの力を借りて退治するところ(15~23章)で構成されています。オデュッセウスの物語なので主役は彼ですが、女神アテーネーは姿を変えてテレマコスがオデュッセウスと再会できるよう力になり、また求婚者退治の時には不死身の力でふたりを守ってこの物語の中で重要な役割を果たしています。
この小説(英雄叙事詩と呼ばれますが、ここでは便宜的に西洋文学の源流となった小説とします)のことを初めて知ったのは大学3回生の頃にドイツ語の先生(ご専門はギリシアの英雄叙事詩と言われていました)から教えていただいたからですが、英米文学やフランス文学やドイツ文学と異なり紀元前1千年以前の物語で中心となるのはトロイ戦争、その上作者ホメロスが活躍したのは紀元前8世紀となると先生から推薦された小説をさあ読もうという気にはなかなかなりませんでした。私の場合、衣食住やインフラがどういう状況なのかがわからないと物語に没入できないのです。それでも『イーリアス』と『オデュッセイア』を読むときの役に立つのではと思って、『ギリシア悲劇全集』(人文書院)を3年程前になってようやく読んだのでした。ギリシャ悲劇のその代表的なものは三大悲劇詩人アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスが紀元前5世紀に創作したもので現代でもしばしば上演されますが、主にアガメムノン王とオイディプス王に関する悲劇がその多くを占めます。アガメムノンはトロイ戦争の中心人物で妻(クリュタイムネストラ)、娘(イピゲネイアとエレクトラ)、妻の愛人(アイギストス)、弟(メネラオス)、息子(オレステス)などと関係して多くの愛憎劇の話題を提供しています。『オデュッセイア』はトロイ戦争終了後の物語なので、その戦役で活躍したアガメムノン、プリアモス、アキレウス、ヘクトール、パリスなどが登場することはほとんどありませんが、『イーリアス』はアキレウスが主人公の英雄叙事詩と言われているので、対立したアガメムノンに関係する悲劇は『イーリアス』を読む時に参考になると思います。
『オデュッセイア』は神々が会議でトロイ戦争の英雄オデュッセウスが10年経っても帰国を許されずカリュプソーの島に抑留されていることを憐み、ヘルメスがオデュッセウスのところに、アテーネーがオデュッセウスの息子のテレマコスのところに遣わされるところから始まります。オデュッセウスとテレマコスのことを気の毒に思ったアテーネーが人間にはできない力でとても不可能と思われたオデュッセウスとテレマコスの再会を叶えます。アテーネーはまず最初にオデュッセウスの友人メントールの姿を借りてテレマコスに提言して、求婚者たちに退去を迫らせ父親の捜索を始めることを決断させます。またアテーネーはヘルメースに頼んで、オデュッセウスをニンフ・カリュプソーの館から筏で出発させます。しかしオデュッセウスが乗った筏は嵐に見舞われたりキュプロクス人に襲われて命からがら逃げます。しかもポセイドンの子であるキュプロクスのポリュペーモスのひとつしかない眼をとがったオリーブの棒で突いて損傷させてしまい、ポセイドンの怒りを買うことになります。こうしてポセイドンに憎まれたオデュッセウスは多くの乗組員を失って漂泊しますが、スケエリー島でアテーネーが島民の娘の姿を借りてナウシカーと引き合わせ、オデュッセウスはナウシカーに気に入られます。オデュッセウスはさらにナウシカーの父アルキノオス王のもてなしを受けることになって、たくさんの贈り物とともに故郷イタケーに戻ることを約束されます。そうして無事故郷に帰ることができますが、アテーネーから助言されてオデュッセウスはすぐにペネロペイアが待つ家に帰ることはせず、まず物乞いの恰好をして豚飼いエウマイオスのところに訪ねて行くことになります。豚飼いから情報を得たオデュッセウスはテレマコスとの再会を果たし求婚者たちの退治する計画を練るのですが、テレマコスが一緒とは言え何十人もいる求婚者すべてと闘うと勝ち目がありません。得意の策謀(謀計)を練って、物乞いの恰好をして求婚者ひとりひとりと話をして自分の味方になってくれる人と敵とを選別して、決行の機会を探ります。ペネロペイアが弓矢の腕を競って勝者を自分の嫁ぐ良人にするとの提案した機会を捉えて、敵と判断した求婚者や求婚者の悪事に加担していた使用人たちを弓矢で退治して行きます。そうして無事ペネロペイアとの再会を果たすわけですが、この小説は再会を果たしたところで終わりとはなっていません。しばらくしてオデュッセウスが放った矢に倒れた求婚者アンティノオスやエウリュマコスの親戚などがオデュッセウスの館に報復・代償を求めて押し掛けますが、この時もアテーネーが現れて丸く収めてくれます。ここでもアテーネーがオデュッセウスのために骨を折っていて、『オデュッセイア』では一貫してアテーネーはオデュッセウスを援助していて、もしこんな神様が自分にもいてくれたらいいのになあと思わせ『オデュッセイア』は終わります。このような終わり方は物足りない気がするので、『イーリアス』と同様に24章で構成されていて、最後の章は削除されたかまたは散逸したのかと思わせます。最後まで楽しめるオデュッセウスという英雄の物語というのは間違いありませんが、最後でもう少し盛り上がったら良かったのにと思います。これほど面白い小説を勧められたのに、40年以上読まなかったのをとても後悔しています。