プチ小説「こんにちは、N先生 100」
私は高校2年生の時の世界史の授業でホメロスという古代ギリシアの詩人の名前を聞いて以来、彼が著したと言われる『イーリアス』と『オデュッセイア』それからアガメムノンの悲劇などを描いた三大悲劇詩人(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス)が著したギリシア悲劇にずっと興味がありました。ギリシア悲劇については3年程前に人文書院のギリシア悲劇全集を読んでまた機会があれば再読したいと思っていますが、『イーリアス』と『オデュッセイア』についてはなかなか取り掛かることができませんでした。それは年代順から言うと先になる『イーリアス』が詩の形式でところどころ古文のような表現のところがあるから最後まで読めないのではないかと思ったからでした。それでも長年読めなかったホメロスの著作も今年9月に腹を決めてまずは比較的読みやすそうな『オデュッセイア』を読むことにしたのでした。『オデュッセイア』を読んでみると読みやすく普通の西洋文学(18~20世紀の英独仏米の文学)と同じように読めました。それで続けて『イーリアス』を読んだのですが、『オデュッセイア』のようには行きませんでした。トロイ戦争のことを描いた英雄叙事詩で主人公はアキレウスとのことですが、一貫してアキレウスが登場するわけではなく、アキレウスが登場して活躍するのはトロイの英雄ヘクトールにアキレウスの鎧を着た親友のバトロクロスが殺害されてからで、それまではいろんな人名や地名が出て来てはすぐに別の話題に移るという感じで混沌としていました。最初の章(英雄叙事詩なので歌、書などが使われていて、章は正しくないのかもしれませんが、ここでは章とします)がアキレウスの怒りとなっていますが、私はギリシア悲劇を読んでいてアキレウスの怒りの原因がアガメムノンが自分の娘イピゲネイアを生贄にしたためアキレウスが彼女と結婚できなくなったことが原因かなと思っていましたが、『イーリアス』にはそれについて書かれていませんでした。第15章で神々の話し合いがあり方針が決まったようで、第16章から第24章までは、アキレウスの鎧を付けたバトロクロスの活躍 → ヘクトールにバトロクロスが殺害される → 友人のバトロクロスが殺害されたことをアキレウスが知り激怒する → ヘクトールに味方するボイポス(光明神 輝く者)・アポローンとアキレウスに味方するパラス・アテーネーの闘いがあるが、二人は神に守られていて死ぬことはない → アキレウスがヘクトールを討ち倒す → アキレウスは親友バトロクロスを殺害したヘクトールが許せない。ヘクトールの遺体に怒りをぶつける → 神々が仲裁に入りヘクトールの遺体を父親のプリアモスが引取り無事葬儀(火葬)が執り行われる というふうにして物語は終結します。しかしこれではトロイの木馬はいつ登場するのか、アキレウスは映画「トロイ」でパリスに殺されてしまいますが、『イーリアス』の最後のところではまだ存命しているようです。『イーリアス』を読み終えて実際のところアキレウスの最期はどうなるのかと思って阪急富田駅前の〇トールコーヒーを出ると、N先生が店の前に立っておられたのでした。
「あっ、N先生、今からこの店に入られるのですか」
「いや、君が『イーリアス』を読み終えたから、ここへ来たんだ」
「そうですか、読み終えて1分程ですから、今までの新記録ではないですか」
「まあ、それくらいぼくは君の話をすぐに聞きたいと思っているんだ」
「それではどこから話しましょうか」
「それは今君が疑問に思っていることからでいい」
「一番の疑問はアキレウスの最期がどうなってるのかということでしょうか」
「それは『イーリアス』を丹念に読めばわかることだが、第23章にバトロクロスの亡霊がアキレウスの枕元に出て来て、「アキレウスよ、(お前は)裕福なトロイエー人らの城壁の下で死ぬとの運命が決められている」と言っているだけだから、後は後世の人が自由に考えたというのが答えだろう」
「そうか、だから映画「トロイ」で、アキレウスはオデュッセウスたちとトロイの木馬に同乗してトロイの城壁の中に入ることができるが、パリスが放った矢で弱点のアキレス腱をやられて殺されてしまうという話になったのですね。確かに城壁のところで亡くなるので『イーリアス』と整合性はありますね。でも『イーリアス』にはオデュッセウスがトロイの木馬を考案する場面がありません。映画「トロイ」ではヘクトールの葬儀が終わってしばらく(12日?)してトロイの木馬を使っての計略によりトロイを壊滅させてしまいますが、『イーリアス』の最期のところは、プリアモスが息子ヘクトールの葬儀を無事に終わらせたところで終わっています」
「君は『イーリアス』を読む前に『オデュッセイア』を読んだんだろ、そこにオデュッセウスのことをなんて書いてあった」
「第3章にテレマコスから父親オデュッセウスについて尋ねられたネストールが、9年に亘った(トロイ)戦争を終結させたのはオデュッセウスの謀りごとのおかげと言っていますが、トロイの木馬については記載がありません」
「そうかな第8章でオデュッセウスはパイケーエス人に歓迎されるが、その時にオデュッセウスは、木馬に武夫をいっぱい入れて詐謀によって(トロイアの)城塞へと連れ込ませた、その人々がイーリオスを攻略したのであったと言っているよ。それからローマの頃の詩人ウェルギリウスが書いた『アエネイス』の中でトロイのヘクトールにつぐ武将と言われたアイネイアースが木馬の計略と言っている。アイネイアースは何とか生き延びてローマの礎を築いたが、その計略でトロイアが陥落したと言っている」
「わかりました。先生から教えていただいたことに間違いはないと思いますが、『イーリアス』について気になることがあります。第15章まで主人公アキレウスがほとんど登場せず、第16章でアキレウスの友人バトロクロスがアキレウスの鎧を身につけて大活躍するあたりから、突然トロイの武将ヘクトールも活躍し始めます。そうしてアキレウスもヘクトールに親友バトロクロスが殺害されてから活躍し始め物語が盛り上がり始めます。また神々もギリシア(アカイア ダナオイ)を応援するアテーネー、トロイを応援するアポローンの活躍も第20章で描かれています。そうして第24章でヘクトールの遺体を父親で国王のプリアモスが引き取るという形で終わっています。こういう構成になったのはなぜでしょうか」
「前にも言ったけど、ホメロスの著作『イーリアス』と『オデュッセイア』は古代ギリシアの作品だから、オリジナルの部分がどれほどあるか問題になる。君は呉茂一訳を読んだようだが、『イーリアス』では後代に追加されたところがかなりあるように注に書いてあっただろ」
「そう言えば第23章でバトロクロスの葬式の記念として賞品の獲得のためにアカイアの武夫が競技で争いますが、競馬、拳闘、角力、短距離走、一騎打ちはオリジナル原稿にあったようですが、鉄塊投げ、弓競技、槍投げは後代の追加ではないかとなっています」
「でもそう決めつけるのではなくて、古代ギリシアの衣装でハンマー投げやアーチェリーをやっていたんじゃないかと考えた方がロマンがあっていい。古代に関する文献漁りだけじゃなくて、いろいろ想像する。そういうロマンがあるから、古代の文学とかの研究は面白いのだと思うよ」
「そうなんですね。それで先生はそれに一生を懸けられたんですね」
「その通りさ」