プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生189」
小川が大井三ツ又交差点近くのスタジオでクラリネットの練習を終えてJR大井町駅に向かって歩いていると、
後ろから声がした。
「やあ、これは小川さん、ここに来ると会えるかもしれないと思っていました。どうですか少しだけでもお話を」
「こんばんは、相川さん、いつもお世話になっています。それじゃー、前に行ったことがあるイタリヤ料理店に
行きましょうか」
「そうですね、あそこがいいですね」
「小川さんはいつもこの近くにあるスタジオで練習されるのですか」
「そう、月に1度はここで2時間くらい練習しますね。あとは自宅で月に2回くらいかな。そうだ、相川さんに
尋ねたいと思っていることがあるんです」
「ほう、私でお役に立てればなんなりと」
「それではっと、その方はディケンズ・ファンのようなのですが、相川さんはベン・ブリッジという日本語を流暢に話せる
イギリス人をご存知ですか。顔はちょうど、映画「アラビアのロレンス」に出て来る、ピーター・オトゥールみたいな...。
その方と何回か新幹線の車内で会っているのです」
「えーっと、あったかな...。おお、これこれ。これを見て下さい」
「あっ、これは、ベンさんじゃないですか。一緒に相川さんが写っていますね。これを見るとかなり親しい...」
「ええ、以前一緒に仕事をすることがあって、ふたりともディケンズのファンということがわかって、今も交流が続いている
のですが、彼の本名は、あの有名な作曲家と同じ、ベンジャミン・ブリテンなんです。彼はベン・ブリッジと呼ばれるのが、
好きなので小川さんもそう呼んであげるといいですよ」
「やはり、ディケンズ愛好家の方だったんですね。ところで先日その方と新幹線でお会いして少し話をしたのです。
夢の中にピクウィックに似た人物が現れ、その人の指示で馴染みの古書店に行ったところ、前から欲しかった
「ドンビー父子」を手に入れることができた。その話をしたところ、「アナタが大変な ディケンズ・ファンで使命感も
強いから、生誕200年に自分のことを祝ってもらいたいという文豪の意志を仄めかせば、尾っぽを触られた殿様バッタ
のように大きく飛躍してもらえると思った」のでしょうとベン・ブリッジさんは言われていましたが、それはどういう
意味なのでしょう」
「特に気にすることはないですよ。彼の場合、ディケンズに対してよい感情を持っている人にはその度合いに応じて
ご利益みたいなものがあると思っているようです。またディケンズの作品を愛する人は善良で、諧謔と機知に富み、
イギリスの文化に興味を持っていると、これは小川さんも私もそうなのですが、思っていてディケンズに興味を
持っている人を見ると他人とは思えなくなるようです。まあ、同好の士に親愛の気持ちを表明したいというのかな」
「そうでしたか。それで大方のことはわかりました。ところで私もベンさんと...」
「いや、彼は日本人のディケンズ愛好家と対話をすることが楽しいようで、私の場合も2人で話をすることが多いですね。
小川さんも彼と新幹線で会われるのなら、これからもその時に会話を楽しまれればいいと思います。私は彼とよく会うのですが、
あえて今すぐにより親密になる必要はないかと思います。でもディケンズ生誕200年には愛好家の人たちみんなと
楽しい時間が過ごせるといいので、それまでには私から彼を紹介させてもらいますよ」
「わあ、楽しみだな。その時にはよろしくお願いします。それまでにはぼくもディケンズの小説を読破しておくことにします」
「是非、そうしてください」