プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生294」
小川が名曲喫茶ヴィオロンの扉を開こうとすると、後ろから声が聞こえた。
「やあ、小川さん、ぼくも今からなんですが、喫茶店の中で話をすると他のお客さんに迷惑を掛けるので、ここでしばらく話をしてから中に入りませんか」
「ええ、いいですよ。でも、アユミさんは来ないんですか」
「いえいえ、小川さんとお会いできる機会をみすみす逃すことは小川ファンのアユミにはありえないことです。中で待っていますよ」
「まあ、そうだとしても、ブランデーが入ったコーヒーを飲んだら...。で、話というのは相川さんと3人でのライヴのことですか」
「もちろんそうです。相川さんとわたしは名古屋にいて毎日でも会えるのですが、小川さんは東京ですので、どうしようかと思いまして」
「ぼくもお二人と楽しい時間が過ごせるのなら、毎日、名古屋に通いたいのですが、そういうわけには行きません」
「それで、今すぐ方針を決めなくてもいいのではということになりました。しばらくは家族と一緒に音楽を楽しみ2、3年してから何かをやろうと相川さんは提案されました。相川さんとアユミとぼくは名古屋でベンジャミンさんと一緒に練習することもできますし、小川さんは秋子さんからご教示いただいてクラリネットの腕を磨くのがいいと思います」
「なるほど、そうして2年後にみんなで集まって大きなことをやろうということですね」
「是非、そうしたいと思いますが、みなさんお忙しいですし、夢もお持ちでしょうし」
「わかりました。とりあえずは、秋子さんの指導で腕を磨くことにします。それから桃香のことはベンジャミンさんから報告を受けていますが、ベンジャミンさんとアユミさんはどんな具合なんでしょうか」
「ああ、そのことなら、1年間掛けてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタをやってみようということになったみたいです。1年たったら、ベンジャミンさんが教鞭をとられている音大でリサイタルを開くと言っていました。ところで小川さん、歌劇「大いなる遺産」の方は進んでいますか」
「ええ、大川さんからの依頼ですからご期待に沿えるように頑張るつもりです。それでこの宝塚歌劇「大いなる遺産」を参考にしようと思うのですが、どうでしょうか。場面はこれを参考にし、なるべくたくさんオリジナル曲を歌ってもらえるように詞を書くつもりです。あとは情景描写や心象風景をたくさんするつもりですので、そこに心を揺さぶるような音楽を付けていただければ、十分かと思います」
「いいですね。それで頑張ってください。こちらは3年後くらいに完成品をいただければ有難いです」
「よーし、頑張るぞ。じゃあ、そろそろ入りますか。おや、裕美ちゃんと音弥君も一緒なんだな」
小川はアユミに会釈するとスピーカ正面の席に座った。しばらくしてマスターが注文を取りに来たので、ホットコーヒーを注文し、ルービンシュタインのショパンのピアノ協奏曲第1番をリクエストした。
<ショパンはサロンで独奏曲をじっくり聴かせるピアニストあったので、20歳の頃にこれだけのオーケストレーションができたかどうか。でも、この曲によく寄り添って曲の魅力を高めている。ぼくも秋子さん、深美、桃香、大川さん、アユミさん、相川さん、ベンジャミンさんの音楽活動の手助けが少しでも出来ればいいな。寄り添って曲が引き立ち、感謝されるんなら、ぼくの役目が果たせたと言えるんじゃないかな。ところでディケンズ先生も堀川さんもディケンズ・フェロウシップの会員になることを勧めていたが、英文学を専門的に研究したことがなく、英会話もほとんどできないぼくが会員になれるんだろうか。家に帰ってから、インターネットで調べてみよう。あっ、アユミさんがこっちにやってくるぞ>
「あら、小川さん、秋子と一緒じゃなかったの。あなたもわたしたちのようになるべく一緒にいた方がいいわよ。魅力的な同じ趣味の異性が現れて、誘惑するということがあるかもしれないから」
「......」